大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所上田支部 昭和52年(ワ)49号 判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二六、七四六、七〇二円及びこれに対する昭和五一年四月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、コトヒラ工業株式会社に勤務するかたわら農業に従事する昭和九年生れの男性である。

2  原告は、昭和五一年四月二七日午後六時三五分ころ、原動機付自転車を運転して、県道芦田線を大屋方面から八重原方面に向け進行中、長野県小県郡丸子町藤原田五六六番地先路上にさしかかつた際、道路左側で被告の知人にじやれていた被告の飼育する約四歳の牝シエパード犬(以下、本件犬という。)を発見して右によけて進行していたが、本件犬が突然原告運転の原動機付自転車に向つて突進してその前輸に衝突し、このため原告は原動機付自転車とともに転倒し、左さ骨、左しよう骨各骨折の傷害を受けた。

3  右事故は、被告が、その飼育する本件犬がシエパード種で約四歳という人間に危害を加えやすい種類、年令の犬であるのにかかわらず、管理を怠り、鎖もつけずに放置していたために発生したものであるから、被告は、民法七一八条により、原告に対し、原告のこうむつた損害を賠償する義務がある。

4  原告は、右傷害のため、昭和五一年四月二七日から同年七月二〇日まで東京中央病院に、同月二六日から同年八月五日まで上田市の安藤病院に各入院して治療を受け、同月五日から同年九月三〇日まで温泉療法のため霊泉寺温泉の安藤診療所に入院し、同年一〇月二日から同年一二月四日までの間に一九回にわたり前記安藤病院に通院して治療を受けたが、一向に快復しないので、松本市の信州大学医学部附属病院に同年一一月二八日から昭和五二年一月一〇日までの間に九回通院し、同月一一日から同年二月一九日まで入院して手術を受けた。

5  しかし、原告はいまだに全治せず、左足が約一センチメートル短かくなり、常時足板を帯用しているほか、左足関節が屈伸不可能であり、また重い物を持つことができない。

6  前記事故のため原告のこうむつた損害は、次のとおりである。

(1) 医療関係費 計一一八、六四〇円

イ 東部中央病院支払分 (計一〇〇、五〇〇円)

初診料、入院費、部屋代、電気代、診断書料、交通災害証明書料、松葉杖使用料

ロ 安藤病院支払分 (計一一、八六〇円)

初診料、入院費、診断書料

ハ 安藤診療所支払分 (計三、五〇〇円)

初診料、寝具クリーニング代、電気代

ニ 信州大学医学部附属病院支払分 (計二、七八〇円)

初診料、附添寝具料、入院費、診断書料

(2) 通院交通費 (計四〇、〇一〇円)

イ 中八重原・上田間バス代一九往復 (計一五、〇一〇円)

ロ 中八重原・松本間ガソリン代、有料道路通行料 (計二五、〇〇〇円)

(3) 附添看護料 計七〇、〇〇〇円

原告の妻の東部中央病院における一二日間及び信州大学医学部附属病院における二日間の附添看護料

(4) 看護のための通院交通費 計四四、五七五円

イ ガソリン代 (計四三、五七五円)

東部中央病院四〇日間一日二往復、三三日間一日一往復、片道一〇キロメートル

安藤診療所一三往復、片道二四キロメートル

信州大学医学部附属病院一往復、片道四九キロメートル

ロ 有料道路通行料一回 (一、〇〇〇円)

(5) 入院雑費等 計一八〇、五〇〇円

一九三日間入院の一日五〇〇円の割合による雑費、医者及び看護婦への謝礼

(6) 休業損害 計四、五六六、五七九円

イ 会社関係 (計二、六一六、三七九円)

原告は、本件事故による傷害のため昭和五一年四月二八日から昭和五二年三月九日まで前記勤務会社を欠勤し、その期間中同会社から給、賞与の一切を支給されなかつた。原告の本件事故当時の本給は月額一三二、五〇〇円、同家族手当は月額六、五〇〇円、同特別技術手当は月額六、〇〇〇円であつたほか、残業手当は月額平均四二、八七三円であるから、その間の右給与総額一、九五三、八七九円を得られなかつたし、同会社では昭和五一年四月二一日から同年一一月二〇日までの期間の労働に対する賞与として同年一二月に一律二か月分、成績良好者にはそのほか〇・五か月ないし一か月分の賞与を、昭和五一年一一月二一日から昭和五二年四月二〇日までの期間の労働に対する賞与として昭和五二年七月に前同様の賞与を支給したので、すくなくとも六六二、五〇〇円の賞与を得られなかつた。

ロ 農業関係 (計一、九五〇、二〇〇円)

原告は、原告の妻とともに農業に従事していたが、本件事故による傷害の療養のため昭和五一年四月二八日から昭和五二年三月末日まで農業に従事することができなかつたし、原告の妻も農業に従事していたところ、原告の入院中の附添看護、通院の介護、自宅看護、介護のため右期間中殆んど農業に従事することができなかつた。昭和五一年における原告方の農業所得はあることはあつたが、これは他から人手を頼んだり、子供に労働させたりしてかろうじて確保したものであり、このような措置をとらなかつたならば農業所得は零であつたはずである。ところで、農林省統計情報部作成の昭和五一年生産農業所得統計によれば、原告の住む北佐久郡北御牧村の昭和五一年の耕地一〇アール当りの生産農業所得は九八、〇〇〇円であるところ、原告方の耕地面積は一九九アールであるから、右期間中原告及び原告の妻が農業に従事することができたならば、すくなくとも一、九五〇、二〇〇円の農業所得が得られたはずであるのに、これを得られなかつた。

(7) 逸失利益 計一七、二七九、〇八一円

原告の本件事故当時の会社関係所得は年額二、九一六、九七六円であり、原告方の生産農業所得の年額は二、〇一九、八五〇円とみなすことができるところ、右生産農業所得に対する原告の貢献割合は六割であつたから、本件事故当時の原告の農業所得は年額一、二一一、九一〇円であつた。ところで、原告は本件事故以前においては、会社で板金工の班長をつとめてきたが、本件事故による傷害の後遺症のため係長付として腰かけてできる係長の補佐程度の仕事しかできなくなり、傷害部位の痛みがひどいときには欠勤や早退等を余儀なくされ、そのため減給されるほか、将来の昇進、昇給に多大の支障をきたすことは目に見えているし、また、農業も本件事故以前においては、農繁期の場合会社へ出勤する前の午前四時ころから午前七時ころまでと、会社から帰宅後の一ないし二時間を農作業に従事していたが、本件事故による傷害のため重い物を持つたり、かついだりすることができないほか、長時間立つていると足がはれ、しやがむこともできないため、限られた範囲の軽い農作業しかできなくなつた。この原告の後遺症は労働基準法施行規則別表による障害等級の第一〇級に該当し、労働能力喪失率は二七パーセントである。よつて、後遺症固定の四三歳より六七歳まで就労可能として、新ホフマン式により中間利息を控除して計算すると、原告の後遺症による逸失利益は一七、二七九、〇八一円となる。

(8) 慰謝料 計三、九四〇、〇〇〇円

原告は、七四歳の父、七五歳の母のほか、妻と学令期の子供三人の七人家族の大黒柱である。この家族を支える原告にとつて本件事故による入、通院及び後遺症による精神的損害は誠に甚大であり、これを金銭に換算すればすくなくとも左記金額をくだらない。

イ 入、通院慰謝料 九二〇、〇〇〇円

ロ 後遺症慰謝料 三、〇二〇、〇〇〇円

(9) 弁護士費用 計一、二〇〇、〇〇〇円

原告は、本件事故に関する被告との間の民事調停が不調に終つたので、やむなく原告代理人に本訴の提起と訴訟の追行を委任し、その着手金として二〇〇、〇〇〇円を支払い、報酬として一、〇〇〇、〇〇〇円を支払うことを約した。

7  原告は、昭和五一年四月二八日から同年一〇月二四日まで健康保険法にもとづく傷害手当金として六九二、六八三円を支給された。

8  よつて、原告は、被告に対し、前記6項記載の損害額より同7項記載の受領額を控除した二六、七四六、七〇二円とこれに対する本件事故の発生日である昭和五一年四月二七日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁

1  1項の事実は知らない。

2  2項の事実のうち、原告がその主張の日時に、主張の車両を運転して、主張の県道を進行してその場所にさしかかつたこと、被告が本件犬を飼育していたこと、本件犬が原告運転車両に多少接触したであろうこと、原告が転倒して負傷したことは認めるが、本件犬が原告運転車両に向つて突進してこれに衝突したことは否認し、その余の事実は知らない。

原告は、排気量九〇CCの原動機付自転車を運転して、毎時約五〇キロメートルの速度で進行し、本件事故現場付近にいた本件犬に向い、その側方至近距離を通過しようとしたものである。そのために本件犬は、原告運転車両に追いかけられ、衝突するような危険を感じて驚がくし、自己保存本能にもとづいて原告運転車両との接触を回避すべく行動に出たものである。従つて、本件犬が原告に向つて危害を加えるべくあえて突進して原告運転車両に衝突しようとしたものではない。

かえつて、原告は、本件犬を認めたのであるから、徐行し、かつ、適当な距離間隔を保ちながら、安全にその側方を通過するように運転すべき注意義務があるのにもかかわらず、これを怠り、前記速度のまま疾走したうえ、本件犬に向つて進行し、その直前で側方至近距離を通過しようとしてハンドルを操作したため、本件犬が驚がくして原告運転車両との衝突を回避しようと動くに及び、原告が急制動の措置を講じたことにより原告運転車両は転倒して原告が負傷したものであつて、本件は原告のいわゆる自損行為に該当するものである。

3  3項の事実は否認し責任原因を争う。

4  4項の事実は知らない。

5  5項の事実は知らない。

6  6項の事実のうち、(1)ないし(5)の事実及び(6)のイ、ロの原告の会社欠勤、農業休業の事実は知らないが、その余の事実はすべて否認する。

三  抗弁

1  本件犬は、狂暴的な性質を有せず、本件事故以前において他人に加害したことはなかつたし、咬癖もない。ましてや他人に負傷させたりその他の事故を発生させた事実は皆無である。そして、被告は、平素本件犬を犬小屋に収容して保管上の注意義務を果していたものであり、放置していたことはない。たまたま本件事故当時犬小屋を掃除するためにそのドアを開けた際、本件犬が外へ飛び出してしまつたものである。従つて、被告は、本件犬の種類、性質に従い相当の注意をもつてその保管をしたものであるから、責任がない。

2  仮りに、そうでないとしても、本件事故は前記請求原因に対する答弁2項において主張したとおり、原告の過失が主たる原因をなしているものであるから、賠償額の算定上これを斟酌すべきである。

四  抗弁に対する答弁

1  抗弁1項の事実は否認する。

2  抗弁2項の主張は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  被告が約四歳の牝シエパード犬(以下、本件犬という。)を飼育占有していたことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし一六、証人堀内茂男、同依田貞代の各証言、原告本人尋問の結果、検証及び鑑定の各結果ならびに弁論の全趣旨によれば、昭和五一年四月二七日午後六時三五分ころ、長野県小県郡丸子町大字藤原田五六六番地の被告方前の県道芦田・大屋線上で、同道路を進行してきた原告運転の第二種原動機付自転車(排気量九〇CC)の前輪と本件犬とが接触して、原告がその運転車両とともに付近路上に転倒(以下本件事故という。)し、その結果原告がその主張の負傷をしたことが認められる。

二  原告は、原告の右負傷が被告の飼育占有する本件犬によつて加えられたものであるから、被告は民法七一八条一項により原告のこうむつた損害を賠償する責任があると主張するので、その当否について判断する。

民法七一八条一項は、動物が他人に危害を加えるべき危険な性質を有していることに鑑み、このような動物を占有している者に、その動物がその有する危険な性質の発現としての独自の動作によつて他人に危害を加えた場合の損害を賠償させることとしたものと解される。

そこでその事実関係について検討するのに、前記甲第一八号証の一、二、第一九号証の一ないし一六、証人堀内茂男、同堀内信幸の各証言及び原告本人尋問の結果によると、本件事故発生の直前、被告は、自宅犬小屋内にいた本件犬を散歩に連れて行こうとして犬小屋から出したところ、本件犬が単独で被告方前の県道上に飛び出し、たまたま同県道右端(大屋方面に向つて)付近を立科町方面から大屋方面に向け歩いて被告方面にさしかかつた堀内茂男に吠えかかり、同人が約六・四メートル進む間、同人と約二・六四メートルの距離まで接近してきて盛んに同人に吠え続けていたこと、当時は既に周囲が薄暗い状態になつていたこと、右本件犬が堀内茂男に吠えかかつていた付近の県道は歩車道の区別がなく、その幅員は約五・三五メートルであつたこと、一方、原告は、右県道左端(立科町方面に向つて)付近を毎時約三〇ないし四〇キロメートルの速度で前記車両を運転して被告方前にさしかかり、本件犬が被告方のすぐ前の県道上にいるのを右斜め前方約四一メートルの距離に認めそのまま約二五メートル進行した際、本件犬が右場所から県道中央へ進み出てきて前記堀内茂男に吠えかかつているのを右斜め前方約一六メートルの距離に認めたが、格別意に介することもなく、本件犬の後方(被告方寄り)を通過しようとして同所から毎時約二〇ないし三〇キロメートルの速度に自車を減速したうえ右にハンドルを切つて進行したこと、しかし、原告運転車両が本件犬のごく側近を通過する態勢となつたため、堀内茂男に盛んに吠えついていた本件犬は、この原告運転車両のそのような接近に驚き、その場の危険を感得して瞬間的に後方へ逃げる動作をとつた際、原告運転車両の前輪と接触し、その結果原告がその運転車両とともに転倒して負傷したものであることが認められる。証人堀内茂男の証言及び原告本人尋問の結果のうち、右認定に反する部分は措信できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

そこで、右認定の事実関係によれば、本件事故発生当時、本件犬がその有する危険な性質の発現として歩行者堀内茂男に対して吠えつく行動をとつていたことは明らかであるが、本件犬の右行動と原告運転車両との本件接触との間には因果関係はなく右接触は、本件犬が動物なりに原告運転車両との衝突の危険を感得し、これを回避せんとしてとつさの逃避行動に出た結果に過ぎず、原告に対する本件犬の有する危険な性質の発現行動であるとみることはできない。そして、原告は、本件犬が自車の進路前方の道路中央付近で歩行者に吠えかかつているのを事前に目撃覚知していたし、当時は既に周囲が薄暗い状態にもなつていたのであるから、さらに減速徐行したうえ本件犬との安全な間隔をとつて進行するなり、あるいは本件事故現場の県道の幅員と相手が犬であることなどを考慮して、一時停止して本件犬の動静を十分確認したうえ運転を再開するなりして、本件事故の発生を十分回避することができたものであり、そのようにすべきであつたのに、そのような措置に出ず、前記認定のとおりの速度で、かつ、本件犬のごく側近を通過しようとしたために本件事故が発生したものであつて、本件事故の発生は専ら原告の不注意な運転に起因するものというほかない。

そうしてみると、本件事故により原告に損害が生じたとしても、それは被告の占有する本件犬が原告に加えた損害ということはできないから、原告の主張は失当である。

三  よつて、その余の点について判断するまでもなく原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 太田浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例